うずうず

 吹き抜ける夏の風は過去に感じたようなそれではなく単なる風であった。きっと気候の変化だろう。わたしは何も変わっていない。そう思って携帯電話を取り出し、男の名前をランダムに選んだ。食事をしませんか、と誘うと、おう珍しいな、と、二つ返事だった。彼はわたしのように痩躯ではなく、体育会系を通過してきました、とTシャツの文字のゆがみによって主張するような、いわゆるマッチョにあたる。わたしの好みではない。しかし夏の風は誰か男の脇から香らせねばならないのではないか、と、陽物が主張する。わたしは陽物でものを考える。牛には胃が四つあって、油虫は胴体にも脳がある。きっとそういうことだ。彼が車で迎えに来たので、助手席に乗り、肩に寄り添ってみた。おかしみを誘う狙いだと解釈したのだろう、やめろよ気持ち悪いな、と体型に似合った力で振りほどき、発車させた。何が食べたい、と訊かれたので、さっぱりしたものがいい、と答えた。車は定食屋に着き、わたし達は暖簾をくぐった。暖簾がはためいたとき、わたしは彼の後ろに立っており、意識的に大きく息をしてみたのだけれど、かつおだしだろうか、そのような香りが店内から漂い、意図せずわたしは本当におなかをすかせた。彼はヒレカツ定食なる彼にふさわしいものを選び、わたしは冷奴と蒸籠そばを注文した。扇風機は野球中継をより暑苦しいものに変え、わたしは既に彼を見ていなかった。ヒレカツ定食が運ばれてきて、大きな口に油分に濡れた肉が挿入される。それを見てもなお、注文したものに気を取られていたので、携帯電話を弄り、彼の電話番号を消した。やがて豆腐が運ばれてきた。滝に長年うたれた自然石のような緑の光沢をそなえた葱が、その傍らに流れる清い水に洗われつづけた潤いを宿した豆腐を冠するように備わっている。わたしは醤油のびんを片手にもち、ゆるやかにそれをかたむけた。小虫が雫を舐めるように、白い柔肌を伝っていくその様を見て、わたしは席を立った。代金を置いて、店外に出る。夏の風を感じる。すぐに使うのはもったいないね、と、わたしは陽物を撫でた。