るり るらら

寒さが和らいだ折、それに見合わない重いアウターを着て、日付が変わるころ、私は韓国人女性の部屋へ出向いていた。
彼女の部屋の真向かい、二車線を挟んだ先には餃子の王将があり、約束の時間まであと少しあったのでチャーシューメンを注文し時間を潰す。
店内は脂で床の粘度が高くなっており、それが服に付着するのが嫌だな、韓国と中国で多国籍だな、など素早く駆けるどうでもいいことを考え、食べ終わり水を飲む。カルキの味がする。
呼ばれれば行く、呼ばれたあとはこちらから連絡を取らない、厳しく課したルールではないが、なんとなくそのようになってしまっていた。

ある女性に呼ばれたとき、先にシャワーを浴びた彼女のケータイが鳴っていた、魔が差したのか、好奇心に勝てなかったのか、私はそのメールを見てしまった。
「もう無理、ホテル入ったから」といった、ああ、痴話喧嘩に巻き込まれての逢瀬だったのね、と知り、手を尽くして、見た痕跡が残らないようにしてから、浴室から出てきた彼女に軽いハグをした。

あれはいつのことだったろうか、二歳上の人妻と夜の三条通りを歩いていると、ふいに彼女が、ここ お義母さんもよく通るのよね、と宛先の分からないことを呟いた。
少し背筋が寒くなったが、恐怖を与えることを目的としたものでなく、自嘲のようなものだと思った。

大学のゼミ飲みに学部生でありながらしれっと参加し、あることないことを話しては話し、自分の輪郭をぼやけさせてから、なにしろ私は休学から戻ってきた訳ありの学生なのだ、どうやら最後の話題らしい、どの仏像が最も美しいか、という議論に参加した、私は、中宮寺の伝如意輪観音像が最も美しい、と声を挙げたが、技巧的に劣っている、歴史的に重要でない、などの理由で即座に撥ね付けられてしまった。
その帰り道、教授と帰路を共にしていたところ、バーに行かないか、と誘われた、駅の地下街にある、狭く、しかし清潔感と猥雑さがある、二階建ての店だった、私たちは二階にあがり、備え付けられた丸テーブルに身体をあずけ、まず教授がエールビールを注文し、君もそうしたまえ、と言うのでそれに倣った。店内はサラリーマンらしき男性の吐息が混ざるようで、私たちは顔を近づけ、小声で会話をした。エールビールが運ばれてきた、小さな乾杯をし、二人でそれを口内で舐めた。しばらくして、教授が言った。見たまえ、こんな酒があるのに、周りの連中はそこいらで売っているような
ビールを飲んでいる、なぜだと思うね?
審美眼がないからだよ
それを聞いて、選民的、と思わずにはいられなかったが、人文系の大学教授などこうした性質でないとやっていけないのかもと思ったし、私自身、確かにそうだな、と納得するところがあった、教授とは駅で別れた。

私は家の二つの部屋を占領していた、一つ目は二階の洋室、二つ目は一階の和室、和室には掘り炬燵があり、私はそこに布団といくらかの漫画を置き、狭いスペースで
ひとがなるべく快適に居られるよう工夫を施してあった。広島から来た女性は、ネットを介して見るより美しかった。本人曰く、わざとそうしているとのこと、それ以上理由は深く聞かなかった。
同居している父に見つからないように、そして、非日常を楽しむように、私は彼女を掘り炬燵に招待し、それから一週間ほど、お互いに服を着ず睦みあう生活が続いた。
時はバレンタインデー近くだった、三日目の昼間、彼女と布団で寝ていると、渡したいものがある、と、二つの塊がそれぞれ鍵と鍵穴になっているチョコレートをくれた。私はそのとき遠距離恋愛中で、この女性もそのことを知っていた。私は、自分の好みなのだから仕方がないが、興味深いひとが好きで、そうしたひとは大抵人格が破綻していた。九州まで会いに行き三日間を過ごしたのち、まだ学生だったが大きい車に乗り家は三階建てで右目は歯科医の愛人をしていたときに殴られ義眼になったとわざわざ取り出し見せてくれた、そうした女性と連絡も不定期、打てど響かない、九州に住みながら
早稲田大学に通う意味の分からなさ、などなどのことがあり、すっかり精神を磨り減らしたときに、広島の彼女はやってきた。ただまあ、鍵のチョコは意味が深すぎやしないかい、と思ったが、私は束の間でも一緒にいてくれる、包み込んでくれるような彼女に惹かれた。しかし、ついぞ、彼女と別れるから私と付き合ってくれない?とかいう言葉は出なかった。

法隆寺に行きたい、と広島から来た彼女が言った。ここは奈良で、法隆寺まではバスで一本だったため、雨がしとど降る中、私はそれを快諾した。
その頃は美学にあまり興味がなく、寺社仏閣の良さも分からなければ、彼女が見たいという仏像についても無知だった。法隆寺に続く石畳に併設する奈良漬け屋で、これが美味しい、これが美味しい、と言いながら試供品を食べ比べ、結局なにがしかを買った。法隆寺に近づくにつれ、彼女の横顔に翳が深くなっていった、気がした。
法隆寺を参拝し、見たいと言っていた仏像がある中宮寺に向かう。入場料を払い、十畳ほどのお堂に通され、ひとしきり仏像についての説明を受けたあと、鎮座する伝如意輪観音像を拝観する。
その柔らかな水で撫でられたような艶、古びた様子を全く感じさせない、後光と見紛うような照り返し、中性的でありながら確かな威厳を感じさせる存在感、優しい威光、それら全てに魅入られ、私は、私たちは罪をどこかに置いてこれたのではという、大きな錯覚に陥った。帰り際、バスの待合室で雨音を聞く、雨の日ばかり 君に会って、という文章を書いたなと思いだす。
彼女の翳は、誤魔化しているものの誤魔化しきれないものになっており、私は早くバスが着けばいいのに、と、長く感じる時間の首筋を噛むように、このまま居たい、ここから出たい、という
アンビバレンツな感情を持って、そこに立っていた。

大学で論文を突き返された、提出期限を大幅に過ぎているのだから当然ではあるのだが、どこかで、私の優秀さに教授も甘い顔をするのでは、と、甘い甘い甘い考えを持っていたが、現実は、来年またおいで、の、価値判断もなにもない真っ当な一言で終わった。そのあとなにをしたかは、あまり覚えていない。

あんな一週間を過ごしておいて 私はここにいる、などという文が広島の彼女から投稿された。それきり、彼女とは連絡を取らなくなってしまった。

今日は誰に呼ばれたんだっけ、今日は誰が来るんだっけ、よく分らないまま時は過ぎ、雨音はここに持ってこれないほど過去になった思い出に変わる。

文章を綴る。これがなければ呼ばれることも呼ぶこともなかっただろう。セックスで射精しない、抗鬱剤の影響だろう。いろんなひとの情に、少しでも引っかからない特性を持っていて良かったと思う。数年後に持ち越せる気持ちなどない、と、今を生きる少女を家庭教師が励ますシーンがあった。気持ちは残っていないが、もう一度、誰かになにか言いたかったな、と、話し相手がいない夜に思う。審美眼って、そんなに必要?私には、よく分からない。