だりだり

十年後にはほかの男のことで一喜一憂している、十年後まで持っていける気持ちなんてない、って言葉は救いのようにわたしの胸を打ったけれど、それは十年後に未来が見えるひとにとってそのようにあり、切り崩せる若さなる財のもとはじめて成立するものなのかもと思ったのは同じ言葉を読んでわたしの心に少し暗い影が落ちたことに起因して、いつも仲良しでいいよねって言われてブルーになんてならなかった、それは過去に対する文言であり、今をそのように思うには、わたしは楽しすぎた。彼はいつも甲斐甲斐しくわたしを悦ばせ、わたしはいつも新たな悦びをぎらぎらと狙っていた。それすらあとになって分かることで、わたしは彼の寂しさや嫉妬、違う天井を見ていたんじゃないかって覗き込むようにわたしの目を見るその仕草、ご飯やぬくもりを、費やしたものや孤独を、共に依存しあい舐めあうその関係に、変わり得ぬもので足を引っ張るもの、だからわたしは輝けないのだわとそれらに唾を吐いていて、唾で出来た温泉に浸っていてわたしはぷかり夢心地であり、それはなにより気持ちよくて、いつか破綻させるのも悲しく成就させるのも、すべてわたしの胸先少しと、信じなければ温泉は枯れてしまいやがて見知った寒風に肌から心のやらかいところまでズタズタに荒らされてしまう、とても恐ろしい想像は数年に渡りわたしは夢想の中に留まり続け緩慢な時間は悲しい成就でもいいよねと呟き続け、そとを知り得ないわたしの孤独と怠惰も風呂上がりに見える道と同じく毎日ようよう白くなりゆく山際の入眠にすべて掻き消されていった。
「このあいだ、十年前に大好きだったアニメがまた映画になったから観に行ったんだ、誘ってもあなたはついてきてくれなかったから、アニメは分かんないって、意外だった、あなたはわたしが誘えばどこでも、国が違っても、ついてくると思ってたから、十年前にとても好きだったそれ、それは勇気のアニメになっていてね、わたしは主人公にとても感情移入していたし反発もしていたし、夢中で閉塞していた、留め置かれればなにものも侵し得ない、絶対恐怖領域を固めていたけれど、いまの彼はあまり恐怖しないの、するけれど乗り越えて踏み進むの、なのに全開って、それを発動させるの、なんだかヘンなのって思ってね、彼はこんなに勇気リンリンなのに、すごく求めるところに進んでるくせに、なんで同じことで打開しているのかしらって、このままハッピーエンドになればこのアニメから解放されるかも知れないって言ったひと、たぶんそれは希望を込めて、がいたけれど、十年経つと未練も無くなるのかな、わたし凄く楽しく観てしまって、次も楽しみ、同じスタッフで作る二次創作のようね、なんて自分で言ってそこに違和感を覚えていたのだけれど、それは、でも変わらない本物はわたしが持ってるから、って未練だったのかしらね、かっこよくなったねなんて勝手に言わせないでって、勝手な言葉、それがあるのかもしれない、でも、楽しかった、思い出の中の都合のいいネタにしていたのに、だって楽しかった、楽しかったのよ、とても」
彼は話を聞き終わるとしばらくして、好きな人が出来た、君と出会ってはじめて人を寝室に入れた、と語り始め、さいごに、友達になろう、と言った。君は常々、友達はいい、友達は別れないから、誰と一緒にいても誰もが離れる、でもあなたは友達だから、って、なぜ彼氏になれないのかを訊く僕に、そう言い続けていたよね、そうして君の願う方に向かおうと、やっと思えたのが数ヶ月前で、ほかのひとを好きになれたんだ。
友達になってくれるよね。
泣いて話す言葉から彼が今まで知ってきた様々な感情をようやく体感させられ、温泉は枯れたのだと知った。それは寒風のようにあり、その子に飽きたらまた戻ってきなさいとしか言えず、ただすすり泣きが重なって、こんなに長く誰かに浸かっていたのははじめてだから、誰かと離れるとき、年をとるなんて知らなくて、わたしとてもこわいと訴えるその手は年をとっていて、白くなりゆく窓がひどくおそろしく思えた。
あのセリフ、十年後には他の男のことで一喜一憂している、十年後に今抱えている問題なんて一つ残らず消え去っている、その十年後は今年の八月十七日、二日後なのだと読み返して知った。
十年前の一喜一憂に耐えるから、そこに戻してくれないかしら、自分を慰める冗談のように呟き、骨と静脈が浮いた手を見る。好きだったアニメにきょうの日はさようならが使われていた。歌う。いつまでもたえることなく 友達でいよう。持ち越せたものはなにもない。きょうの日よさようなら。窓がまた白み、外にあまり変わらない田舎町が広がる。また会う日まで。いつかまた誰かに会えるかしら。会わずにいたのは誰かしら。ここはいったいどこかしら。物語はまだ半ばにも達しておらず、それはただの劇中歌である。わたしの温泉になれるかな、と手を見る。あえて逆光にする。OK、まだ大丈夫。