鼻フック町

僕らの町ではみんなが鼻フックをしている。誰が決めたのか、何かの罰なのか、それはわからない、けれど、この町ではみんなが鼻フックをしている。僕は高校生で、いまは昼休みなので彼女と校舎裏の旧用務員室で睦みあっている。僕らの町では、鼻フックをお互いに交換し装着することが、そういったエロい事だとみなされている。だから僕らも鼻フックをどんどん交換する。そして装着する。また交換する。また装着する。どんどん相手が出した液体が自分の鼻に入ってくる様子は、他の町の住人からみても、じゅうぶんにエロスを感じられるものではないかと思う。
僕らは存分にお互いの鼻フックを交換し合った。もう昼休みは終わっている。受験対策授業で、またクラスメートと僕らの机に、コピープリントが配られているのだろう。ほとんど皆町を出る。町を出て、鼻フックの存在しない町へと行く。鼻フックが隠された町へと行く。僕らはまた鼻フックを交換し始めた。一時間おきに鐘が鳴る。僕らはずっと鼻フックを交換し合い、ただ夜を待った。日毎にプリントは増えていく。僕らは毎日交換する。僕らは既に受験に対し関心のない生徒として先生から関心を無くされている。僕らの机にプリントが配られなくなった。ただ日々が過ぎていき、僕らの鼻フックは明らかに同年代のものより色が濃くなっていた。
僕らは学校の裏山で鼻フックを交換していた。彼女は鼻フックを交換することが好きだった。僕よりも彼女が鼻フックをより交換したがった。彼女は言った。「あなたが大学に受からなかったら、私のせいね」僕はそういう口をフックで吊り上げ、また鼻フックを交換し合った。僕らはただ鼻フックを交換し続けた。斜向かいの家では既に推薦合格者が出たらしい。彼は町を出る。僕らは鼻フックを交換する。
次第に学校は僕らのいる場所では無くなっていき、僕らは互いの部屋で一日中交換し合う日々を続けた。あたたかい部屋の中、布団に包まって鼻フックを交換し続ける。時が止まったのかと思えば、気付けば暗くなっている。「あなたのより歪んだ顔が見たいの」彼女のこの言葉で、僕の鼻フックはリール付きの強力なものとなった。僕らはあたたかい部屋で鼻を吊り合った。僕の鼻は彼女のリールさばきによりさらに上を向いた。学校では私学受験者直前授業が行われている。斜向かいの彼は既に町を出ている。ただ冬が深まっていく。「もっとあなたを歪ませたいの」僕のフックはより鼻に食い込むロングタイプとなった。
合格者がちらほらと出始めた。雨の翌日に水溜りが凍った。彼女の欲求はどんどん高まっていった。彼女は申し訳程度に僕の鼻フックを装着すると、あとは思うさまリールを巻き上げ、僕を吊り上げた。国公立の受験が迫ってきた。僕らは部屋で睦み合っていた。初雪が降った。僕は地元の学校は一校も受けず、遠い大都市の国立大学だけを受験した。彼女は地元の私学に行くと言っていた。「そんなところ受けれるんだ」「うん」「ふーん」「地元の大学は受けないの?」「うん、担任も、あそこが受けられるなら地元はうけなくていいって言ってくれたから」「ふーん、そう」「そうなんだ」
僕らは鼻を吊り合い、彼女はより僕の鼻をきつく吊った。僕は部屋でふたり鼻を吊り合うたび、時が止まったのかと思っていたが、しかしやはり、やはり夜は訪れた。いつも、一度の例外もなく。
僕が大学を受けて地元に帰ってきた翌日、彼女は別れを切り出した。僕は強力な鼻フック着用を平時も義務付けられており、声が多少鼻にかかったものになっていたが、それでもその声で必死に彼女を説得した。なぜそうなるんだ、なぜそうなるんだ。僕には何一つとしてわからなかった。彼女は数日後、僕の家にある彼女のものを取りに顔を見せた。彼女は、あのリール付きの鼻フックも私に渡してくれ、と言った。何に使うんだ、と言っても、彼女は苦笑もせず不愉快そうな表情を向けるばかりだった。
春が来て、僕は大学に落ちていた。僕と彼女の共通の知人から聞いた話だと、彼女は私学の二次募集に合格しており、今は女子大生として普通に鼻フックをつけて生活しているという。彼はこうも言った。「こんど合コンしようって彼女に言われたんだけど、お前も来るか?」
僕は今も鼻フックの町で、一年前より多少上を向いた鼻を気にしながら、一年前とほぼ変わらない生活を送っている。リール付きの鼻フックはどこかで使われているのかなあ。そう思うと、この町のすべてが嫌になる。僕は一年前とほぼ変わらない生活を送っている。鼻フックを外して、フックの匂いを嗅いでみた。そこには僕の体液の匂いしかなく、他には拍子抜けするほど何も無かった。